ああ、おいしいなぁ

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親父ありがとう

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父と母

2010年1月9日午前7時8分 父 眞木利一が永遠の眠りにつきました。

自分勝手で、わがままで、喧嘩ばかりしていた親父ですが、自由で、純粋で、音楽一筋で、本当に尊敬していました。

バラが大好きで、自分でも育ててコンクールとかで賞を取っていました。

歌舞伎などの芝居も大好き、陶芸品も結構好きでいい物かどうかわからないけど色々と集めてたなあ。

女性の着物にも興味や理解があり、結構目利きがきく方だったようです。

なぜか四柱推命にも凝っていて、それなりに当たるようでしたが、自分や家族のことは全然あたりませんでした。(笑)

話好きだったから晩年は携帯を肌身離さず持っていました。

クラシックピアニストだったけれど、戦後の米軍キャンプでジャズを弾いたりした経験からジャズも結構弾いたようです。

一時期ポピュラー音楽でバンドを組んで日本中回っていたこともありました。

ジャンルにはまったくこだわらない人間だったので、父の時代では反感を持つ人も多かったみたいです。

本人は気にしていない風だったけど、本当は気にしていたのを僕は知っている。

謡曲も結構好きで、アニソンだって宇宙戦艦ヤマトの「真赤なスカーフ」は名曲やなと言っていたし、ソウルトレインも良く見ていた記憶があります。

最近はのだめカンタービレのエンディング曲で有名な「ラプソディ・イン・ブルー」ですが、父の得意な曲の一つでした。

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ラプソディ・イン・ブルーを弾く父

 (指揮アーサー・フイードラー 読売交響楽団

ジャズとクラシックの両方の要素がある名曲ですが、そう考えると父にはぴったりの曲だったんだと思う。

常識に囚われず、人間くさく、寂しがりやで、賑やかな事が好きで、そのくせ騒がしいのは嫌いで、辛辣な皮肉屋で、だけど人間が大好き。

今思うと、魅力たっぷりな親父だったなあ。

父に感謝している事はたくさんありますが、その中でもこの世に生を授けてくれたこと、育ててくれたことに次いで大きな感謝は、僕に音楽を諦めさせてくれた事。

ピアニストに憧れ、指揮者にも憧れ、音楽家になれると信じていた僕に、音楽家には絶対になれない、なってはいけないと言う事を時間をかけて教えてくれたこと。

そのおかげで、今の自分があると思う。

脳梗塞の後遺症で左半身の麻痺に悩まされた晩年は、演奏が出来なくなったけれど、それでも右手だけで演奏する工夫や、多重録音でなんとかならないだろうかとか、本当に執念でピアノと取り組み続けた姿や、レッスンで自分の音楽を伝え続ける姿は、子供の頃に聞いた「一生仕事するねん」という言葉通りの生き方でした。

一昨年に母が亡くなってからは、妻を亡くした喪失感が父をかなり苦しめていたことは確かでしたが、それでも父を支えていたのは音楽への情熱だったと思います。

門下生の方との連絡は切らさず、今年の5月に予定している門下生の方々による演奏会「コンセル・ガルボ」を見届ける事を楽しみにしていました。

母の葬式と同じ公益社守口会館で父の葬式を執り行いました。

喪主として心がけた事は、父が嫌う「葬式みたいな葬式」にしない事でした。

どんよりした空気が何より嫌いな父だったから、明るく送り出してやりたいと思いました。

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大好きだったバラの花束を贈りました。

葬式にバラはタブーだという方もおられるそうです。

しかし、古いお付き合いである西光寺の院主様や、葬儀場の方達や、ご会葬の方々のご理解のもと、飾りつけの花にも、ふんだんにバラを配していただきました。

演奏会用のタキシードに身を包み、明るい花柄の棺の中にはバラの花がいっぱい。

そういう姿で父はあの世へ旅立ちました。

たくさんの方々にご会葬を賜りまして、改めてお礼申します。

そしてお父さん、お母さん、ありがとう。